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1. はじめに
創業から半世紀、あるいは一世紀を超えて事業を継続している老舗企業には、創業者が掲げた企業理念が脈々と受け継がれています。しかし時代の変化は激しく、当初の理念表現が現代の顧客や社員には共感されにくくなりがちです。こうした状況で注目されるのがMission(使命)、Vision(将来像)、Values(行動指針)を明確化・再編集する「MVV策定」です。
本記事では、老舗企業がMVVを通じてブランド価値を再構築する戦略的アプローチを紹介します。さらに、理論上の理想プロセスだけでなく、組織内部での抵抗や実践的な課題、合意形成の難しさ、失敗例から得られる示唆、そしてグローバル化やデジタル化、世代間ギャップへの対応など、実務上の観点も補足していきます。
2. なぜMVV策定が老舗企業に不可欠なのか
2.1 現代の多様化・変化への対応
社会はデジタル化、グローバル化、SDGs重視など多面的な変容を遂げています。創業時の理念が新時代に適合しなければ、顧客や社員の共感を得られず、ブランド力低下を招きます。MVVを通じて伝統的価値観を「今」に通じる言葉へアップデートすることで、これらの変化に対応できます。
2.2 組織力・エンゲージメント向上
MVVは組織の羅針盤として機能しますが、実際には「これまでのやり方」に固執する企業文化や、部門間の温度差が存在します。新しいMVVを提示する際は、各階層での対話を重ね、なぜ変えるのかを丁寧に説明し、キーパーソン(社内リーダーや年長社員)の賛同を得ることが不可欠です。これにより社員が自分たちの役割と企業の存在意義を再確認し、エンゲージメントを向上させる土台が築かれます。
2.3 採用力強化と定着率向上
若い世代の求職者は、企業の価値観や世界観と自分の考えが合うかを重視します。MVVによって明瞭な価値基準が提示されれば、共感する人材が集まりやすくなります。さらに、入社後の社員に対しては、実務上の意思決定や行動指針としてMVVを活用することで定着率改善が期待できます。
3. MVV策定の具体的プロセスと実践上の課題
3.1 内部ヒアリングと理念再解釈
経営層やミドル、現場社員へのインタビューを通じて、創業理念がどの程度現場で共有・活用されているかを洗い出します。しかし、特に伝統を重んじる組織では「昔からある理念を変えるなんて」という抵抗が起こりやすいです。この際は、理念そのものを否定せず「再解釈」や「翻訳」であることを強調し、現場の知見を取り込みながら納得感を醸成することが重要です。
3.2 顧客・市場インサイトの取り込み
顧客アンケートや市場調査を活用し、社会的期待や顧客ニーズを抽出します。ただし、古い企業文化では外部の声を取り入れることに抵抗があるかもしれません。その場合は、小規模なワークショップや試行的な施策を通じて徐々に外部視点を社内に共有し、理念再編集への理解を深めます。
3.3 外部専門家やワークショップ活用
第三者であるブランディングコンサルタント、ファシリテーターの参加は、内輪では気づきにくい盲点を可視化するのに有効です。ただし、外部からの意見に警戒感を持つ社員もいます。この場合、初めは短期的なワークショップを実施し、小さな成功体験や改善点の抽出を重ね、外部知見の有用性を体験的に理解してもらうと良いでしょう。
4. MVV策定事例:実践企業の動向と失敗回避
- YKKグループ:
「善の循環」をグローバル・サステナビリティコンセプトへと拡張。社内対話の場を増やし、年次層を超えた合意形成で海外拠点でも一貫した価値観を共有。 - ヤマサ醤油:
「世界の食卓を豊かにする」という明快なミッションで従来の醤油製造理念をグローバル戦略へ展開。外部市場調査結果を踏まえ、商品開発部門と製造現場の対話を重視し、抵抗を乗り越えた。 - サントリー:
創業精神を現代的MVVに再定義。社内ワークショップでベテラン社員が参加し、理念変更の必要性を説明。若手とベテランを混成したプロジェクトチームを編成し、世代間ギャップを埋める試みを実践。 - 味の素、花王、高島屋など:
歴史的価値を新しいキーワード(「Eat Well, Live Well」「Kirei Lifestyle」など)に置き換え、国内外で多様な文化背景を持つ社員・顧客への発信を行う。グローバル展開時には、各現地法人との対話やローカルスタッフ向けワークショップを実施し、文化的解釈違いを事前に吸収。
失敗パターンと回避策
- 失敗例1:抽象的なまま放置
MVVが難解で抽象的すぎると、現場が行動に移せません。回避策としては、誰もが理解できる平易な言葉を使い、具体的な行動事例とセットで提示します。 - 失敗例2:トップダウン過ぎる導入
経営層が一方的に策定すると、現場や中堅社員が「押し付け」と捉えます。ワークショップや従業員代表による意見交換会を通じて、合意形成を図ります。 - 失敗例3:浸透プロセスの欠如
策定したMVVを文書化して終わりにするのはNG。社内ポータル、SNS、動画メッセージ、eラーニングなどデジタルツールを活用し、継続的に周知・教育を行うことで、根付かせる努力が欠かせません。
5. 定期的な点検と効果測定
弊社が直接関与したデータは示せませんが、一般的な手法として以下が挙げられます。
- 社員エンゲージメント調査:
年次アンケートで「企業の理念に共感できる」と回答する社員割合を追跡する。 - 採用応募者数や定着率変化:
新しいMVV発信後の応募者数増加、入社後1年以内の離職率低下など、定量的な変化を観察。 - 顧客満足度・NPS:
顧客アンケートでブランドに対する理解や信頼度の指標を測り、MVV策定前後の変化を分析。
これらによって、MVVが単なるスローガンでなく、実務上のポジティブなインパクトを生み出しているかを検証できます。
6. デジタル・グローバル・世代間ギャップへの対応
MVVは社内外に継続的に発信・浸透させる必要があります。デジタルツールやSNS、社内ポータル、海外拠点向けのローカライズされた資料や動画、ウェビナーを活用し、各国・各世代・各部門が共通理解を持てる仕組みを構築することで、情報格差・世代間ギャップを埋めます。
たとえば、若手社員向けには短い動画やSNSでの発信を増やし、ベテラン層には内部報告書や小規模ミーティングを通じて丁寧に背景を説明するなど、チャネルや表現を工夫することで、異なる世代・文化的背景を持つ社員間での共通言語化が可能になります。
7. まとめ
老舗企業がMVV策定に挑む際、単なる理念再編集にとどまらず、社内外での対話、文化的抵抗への配慮、グローバル対応、デジタル活用、世代間ギャップの解消といった実務的な課題を考慮する必要があります。成功事例は多々ある一方で、抽象的なまま運用が進まない、トップダウン過ぎて現場が納得しない、デジタル活用不足で浸透が進まないといった失敗パターンも存在します。
こうした困難を理解した上で、段階的なプロセス、合意形成の工夫、継続的な点検・改善を行えば、老舗企業でも創業理念を現代のニーズに合ったMVVへと進化させ、組織力強化、採用・定着率向上、顧客ロイヤリティ強化、グローバル競争力の確保が可能になります。歴史的資産を持ちながらも常に進化し続けるブランドづくりが、次の時代へつながる鍵となるのです。